氷の島と火の島

 グリーンランドの大氷山

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グリーンランド。遠い、遠い北の島だ。北極回りのヨーロッパ便の飛行機で上を飛んで、すさまじい氷の広がりを見たことがある。その時はここに降り立ってみようとは思わなかった。

しばらくして、いずれ訪れる予定の北欧についてデータを集めようと、スカンジナビア政府観光局へ行った。そこにグリーンランド紹介の小冊子があった。

それから、次第にグリーンランドを旅したいと願うようになった。

ロンリー・プラネットのガイドブックには、グリーンランドがアイスランドと組になって詳しく紹介されている。イルリサットという西海岸の町のすぐ近くに氷山に満ち溢れた海があるという。

本当に大きい氷山を見ようとすれば、ここに行くべきなのだ。むろん、南極にはたくさんの氷山があるであろうが、南極観光のシーズンは日本の冬に当たり、長い休暇旅行は今の所難しい。

グリーンランドはデンマーク領なのでコペンハーゲンからグリーンランドのカンゲルースアークまで直行便が飛んでいる。1995年8月5日、勇んでコペンハーゲンを出発した。

カンゲルースアークで乗り換えて1時間も飛ぶと、もうイルリサットだ。イルリサットの近くにフィヨルドがあり、ここにグリーンランドを覆う氷床から崩れ落ちた氷山が押し出しているのである。

飛行機はフィヨルドの上を低く飛んだ。海面は溶けていて、氷山の周りはサファイアのように輝いている。海面下に氷山が広がっているからだ。

あちこちのサファイアを愛でているうちに、飛行機は静かにイルリサットに降り立った。

空港には予約してあった、ホテル・アークティックの車が待っていた。ホテルは町外れの小高い丘の上にあり、巨大な氷山が遠くに漂っている海に面している。

イルリサット観光の人に来てもらい、明日からの計画を立てた。話しが終わっても、まだ午後3時前である。朝、コペンハーゲンを出発したのだから時差を考えても効率的だ。

これからブラブラしていても、しかたがないと氷山を見に出かけることにした。ホテルの車に送ってもらって、町外れのヘリポートまで行った。そこから歩き始めて、セルメルミュートの海岸に出た。

前方に岩の岬が突き出している。この岩山に登ると、目の前に氷山の海が広がった。小山のような氷山がごろごろしている。氷山の高さは、大きいものは50メートルを超えているだろう。

四角のもの、三角形のもの、氷河からちぎれてきたばかりのようなギザギザのもの、実に様々な氷山がある。藍色の水がゆっくりと氷山の周りを回り、小さな氷のかけらが渦に巻かれている。

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歩いてくる時ぱらついていた小雨もやんだ。温かい。気温が10度はある。慎重に岩山を降りて海面に近づいて座り込んだ。

しばらくして、右側の岩山に2人組みのパーティーが現れた。「やー」お互いに景色が嬉しくて挨拶した。私も右側の岩山に行ってみることにした。湾口まで見渡せて、たしかにここからが一番良い眺望である。

右手には三角形の断面で堤のように延びた氷山がある。正面は箱型の卓状氷山でスパッとした切り口が鮮やかだ。そのクレパスは青く輝いている。

卓状氷山から流れ落ちる水が小さな滝になっていて、光の具合で、青い滝に見える。

左手は三角錐状の氷山で、表面にカンナで削ったような模様がついている。この周りは水が動かず、海は鏡のようだ。そこに、三角錐の氷山が見事な倒立像を作っている。

もう十分だというまで楽しんで岩山を後にして、ヘリポートに帰り着いた。急に風が冷たくなったが、迎えの車は約束の6時ジャストにやって来てくれた。

8月6日。朝は再び氷山を見にセルメルミュートへ出かけた。昨日と同じ景色だが、氷山群が見えたときの感激は変わらない。

天気はやはりぐずついていて、時折、小雨模様となる。それでも、引き上げる頃になって薄日が射してきた。

午後、氷山の近くを行くという、呼び物のクルーズに参加した。がっしりした漁船に乗って出発だ。港を出て氷山をめがけて進んだが、氷山から500メートルくらい離れて停止した。

随分と慎重な船だ。これなら、陸から見たほうが氷山は近い。しかし、私たち以外の5人の客は興奮して写真を撮りまくっていた。中年のドイツ人が話し掛けてきた。
「いやーすごい、ドイツでは摂氏36度だった、今こんな氷山の近くにいるなんて信じられないよ」
「そうですね」
私は冷淡に相槌を打った。
「でも、今朝、私たちはあそこにいたんですよ」
「あんな所にですか」

氷山のすぐ近くの丘を指差されてドイツ人は驚いていた。やがて、アナウンスがあった。
「船の冷却管が故障です、代わりの船が来るのでお待ちください」
なんだ、そういうことだったのか。

今度は、船はフィヨルド湾口の氷山にためらうことなく近づいていく。

そして、私たちのいた岬と氷山の間の水面に侵入し、1つ、1つの氷山の周りを回ってくれた。刃物で切ったような氷山の断面が鈍く光っている。

次に、船は湾口を横切り始めた。船の左側には氷山が連なっているが、右の外海側には氷山が少ない。この線で湾が浅くなり、氷山が引っかかっているのだ。

船はスピードを上げて氷山の脇を過ぎていく。三角形、卓状、ギザギザ、氷山の見本市だ。

「まるで南氷洋ね」
と妻がいう。湾口の中央で巨大氷山の脇を抜けて、船は氷山群の只中に突入した。

いつのまにか、また小雨が降り始め、海面からうっすらと霧が立ち上る。氷山の下部に霧が渦巻き、景色は幻想的になった。

いくつかの氷山を過ぎて、氷山に囲まれて海面が空いているところに出た。ここで、小休止。私たちはコーヒーを飲んで体を温めた。

突然、右手の大きな氷山の側面が轟音と共に崩れた。船長は操縦席に飛び込み、すぐに船を数百メートル移動させた。氷山が崩れる時の高波はとても危険だそうだ。

次第に濃くなる霧の中を船は帰路についた。荒涼とした雰囲気になり、北極探検の気分である。すると、赤に白十字のデンマークの旗をなびかせて、3艘の小船がエンジン音も軽快にやってきた。

それぞれ3-4人のイヌイットの少年たちが乗っている。私たちの船とすれ違う時、彼らは立ち上がり、背筋を伸ばし、片手を上げて挨拶した。船は氷山の角を回って見えなくなった。

氷山群の中に釣りに行くのだろう。この霧と氷の海を小さな船で進むことに危険を感じないのであろうか。感じているとしたら、あの快活さは何なのだろうか。

8月7日。午前中はやはり、セルメルミュートの崖の上で過ごした。幸いなことに、天気は回復してきて、ずっと薄日が射していた。

日の当たる所と陰の部分のコントラストが増し、氷山はより美しく見えた。しかし日が照らない時のほうが氷山の詳細が分かる気もした。
午後、ガイドつきのハイキングに出発した。客は私たち2人だけである。

ガイドはピーター。デンマーク人で、ガイドで稼いだあとはヒマラヤへ行くのだという。昨年は5000メートル級のピークに登ったので今年は6000メートル級を目指すのだそうだ。

セルメルミュートまでは通い慣れた道だ。セルメルミュートには3500年前の遺跡がある。今までそれがどこか分からなかったが、ピーターはすぐに探し出してくれた。

日本でいえば貝塚にあたるのだろうが、貝殻の代わりにアザラシの骨が多いのは食生活の違いを反映している。

空は完全に晴れ渡った。岬の岩山からの氷山群は見慣れた景色であるが、氷山群が光り輝いていた。

私たちはここでゆっくりして、たくさんの写真を撮った。そして、丘の上をフィヨルド沿いに上流へ歩いていった。

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氷山ばかりか足元のツンドラの植物まで輝いている。デナリでのハイキングを思い出す至上のひと時である。そういえば、ブルーベリーも稔っている。

しばらく丘を行くと古いイヌイットの墓があった。ピーターの案内で覗き込むと数人分の人骨が散乱していた。小さい頭蓋骨が2つあり、子供も葬られていたと分かった。

美しい氷山群を眺める柔らかなツンドラの丘。葬られる場所としては悪くない。

私たちはピーターに率いられて登頂を開始した。ひときわ高い岩山である。後で調べると、標高200メートル強に過ぎないが、この極北の地にあると、北アルプスのピークよりも急峻な印象を与えていた。

頂上に達すると氷山に満ち溢れたフィヨルドとその湾口までが一望の下である。沖にもチラホラと氷山があり、その1つは大型客船にそっくりな形である。

ピーターが入れてくれた紅茶を飲みながら時を過ごした。

「この地上で最も美しいところがここイルリサットのフィヨルドだという人がいるけど、どう思うかい」
とピーター。私は旅してきた多くの場所を思い浮かべた。

「地上に美しいところは多い。日没のグランド・キャニオン、グレイシャー・ベイ、デナリ、アルプス。でも一つを取れといわれたら、今はお前のいうことに同意しようか。まてよ、ヒマラヤはどうだい」

「そうだなー。ヒマラヤも一番美しいところかしれない」

そうさ、どこが地上で一番美しいところかなんて、考えるのは止めよう。ここは、地上で一番美しいところの1つなのさ。そこに、晴れた日にいることができる。それで十分である。

夜10時からの深夜クルーズにも参加した。深夜といってもこの極地では夕方である。7月上旬までは日が沈まないほどなのだ。

残念なことに、再び雲が出始め、夕日に映える氷山は拝めなかった。しかし、氷山に囲まれた海面に達したところでクライマックスがやってきた。

太陽は沈む直前に黒雲から顔を出し、オレンジ色と黄色の夕映えが凪いだ海を覆った。アザラシを捕るイヌイットの船がただ1艘、この錦の海をひっそりと去って行った。

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氷山は夕日に立ちはだかり、複雑なシルエットを錦の海に落とした。その形は氷山のものとは思えず、教会の建物のようであった。

船は静かに進み、1つ1つ違った建物が過ぎていった。聖なるものここにあり。キリスト教徒でなくてもそういいたかった。

8月8日。氷床へのヘリコプター・ツアーに参加した。私はヘリコプター観光を好きになれない。安全性に疑問があるし、騒音を撒き散らす。

しかし、今回は内陸の氷床を見ることができる唯一のチャンスなので、参加してみることにした。

25人乗りの大型ヘリコプターで安全そうだったし、騒音で迷惑をかける他の客などいなかったという理由もある。
氷山を見下ろしつつ、40キロほどもアイス・フィヨルドをさかのぼった。ついに氷河の面が見えてきた。

高さは100メートル近く、幅は5キロという巨大さである。ここで氷河が切り裂かれたように崩壊して、氷山と変わるのだ。

ヘリコプターは氷河の面に沿って飛んでくれた。鋭く尖り、巨大な水晶のように輝く氷が集まった氷河の面は、間近に見ると恐ろしいほどである。そしてヘリは氷河の面を見下ろす丘に着陸した

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そこからは氷河だけでなく、上方に広がる氷床も望むことができる。ただ果てしなく続く、白と茶色のデコボコした氷である。

夕食時にはイヌイットの人たちが盛装して現われ歌を歌ってくれた。アイアイアーという掛け声は沖縄の民謡を思わせ、同じモンゴロイドとして共感を誘うものであった。

グリーンランド最後の夜なので、特に感慨深かったのかもしれない。

このホテルは氷山を望む宿にしては食事がちゃんとしていた。メドックの赤ワインもそれなりの物で、外国の要人が泊まることを自慢するホテルだけのことはある。

8月9日。朝、霧が出ている。飛行機の出発を心配したが、少し遅れただけであった。カンゲル-スアークの空港ではスカンジナビア航空の大型ジェット機が待っていた。

さようなら、グリーンランド。良いところだと信じながらも一抹の不安があったが、最良の場所の1つであった。4泊とはやや短く、もっと居たいほどである。現地に来れば、さらに色々なプランが浮かんだのである。

ストロンボリ

ギリシャ文明の時代から、ストロンボリ島の火山は定期的に噴火を繰り返している。ほぼ1時間に1度は噴火するそうだから、火山の噴火を見るには最も好都合な場所の1つである。

2003年、ヨーロッパ旅行の最後にストロンボリ島へ立ち寄る計画にした。ところが、2002年の年末に異変が起きた。大噴火したのである。津波が発生し、住民が避難する事態となった。

それまで、標高900メートルほどの山頂に登れたのだが、標高400メートルしか行けなくなってしまった。5月になると活動は収まってきたが、溶岩の流出が始まった。

赤い溶岩が山肌を流れ下りている写真をインターネットで眺めた。逆に噴火は見られないらしい。状況は流動的だが、もう手配済みだと決行することにした。

2003年8月18日、ナポリから水中翼船に乗り、南下すること4時間でストロンボリの港に着いた。予約済みのパーク・ホテルの人が待っていてくれた。

宿からマグマトレック(Magmatrek)という、これも予約してあったハイキング・ツアーの会社に確認の電話を入れた。溶岩の流出は減ったとのことである。しかし、2週間前から、噴火が再開したようだ。なんとかなりそうである。

午後6時半にグループ登山の一行は出発した。参加者は50人ほど。3つのグループに分かれ、それぞれにガイドがついていた。

400メートル登ればよいだけだから、と気楽に構えていたが、相当に苦労した。ヨーロッパを熱波が襲っている時で、日が暮れても気温が高いのである。汗まみれになって観測地点に達した。

もう夜となっていたが、火口部がうす赤くて、山の方向は分かる。この赤さは刻々と変化する。帯状の赤いものが山頂から下がっている。溶岩であろう。

この光が強くなってしばらくすると、ゴロゴロと音がする。溶岩が固まって山腹を海へ駆け下りているのだ。弱い、溶岩の吹き上げも見られる。

しばらくすると一切の光が消えた。そして突然の噴火だ。たくさんの、やや橙色を帯びた赤い星が、火口から夜空に放り出されていた。

赤い星は見事な放物線を描いて着地し、輝きながら山腹を転がり落ち、そして光を失っていった。ウォー、ブラボー。大歓声が上がった。

また光の増減を眺めていると、山頂部がパッと赤くなり、噴火が起こった。前回よりも大きく、もっとたくさんの赤い星が空を目指した。

さらにもう一度噴火があり、予定の時間が終わった。宿に帰り着くと11時を過ぎていた。

8月19日夜。船からの観光である。
「船はどこへ行くの」
と妻。
「溶岩が転がり落ちた先の海だよ」
「危なくないかしら」
「今の噴火レベルなら問題ないよ」
「危ないところばかり連れて行かれて、よく生き延びてきたわ」

ほぼ正確である。「クマは見ないの」といったのは妻であるが。船は10数人の客をのせて出発した。2回の噴火があったが、昨日に比べると感激は少なかった。距離が離れているためだろう。

8月20日夜。もう一度グループ登山に参加した。写真を撮らなかったのが心残りだったのである。最初の夜は見とれていた。船の上では、揺れていて撮影不可能であった。

「いいわ、一緒にいくわ」
と妻はいってくれた。暑さはさらに厳しく、リュックにまで汗がしみてしまった。

前回よりペースが速かったので、暗くなる前に高所に達した。火山の斜面の向こうの海が見事であった。

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到着すると急いで、携帯用の三脚をセットして待った。噴火は3回あった。2日前のほうが大きかったようだが、写真にすれば立派な姿である。

Best10-x.jpgのサムネール画像

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ナポリからエールフランスの便でパリを目指した。帰国のためである。アルプス越えの便で、モンブランのすぐ近くを通った。アルプスの広大な景色は旅の終わりにふさわしかった。

なお2011年の時点では再び山頂部へ行けるようになった。ただし標高400メートル以上の地点に登るのはガイド同行が義務付けられ、かつ1日の人数も80人と限定されているようである(Magmatrekのホームページより)。

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